焼き物のまち 〜常滑のご紹介〜
曲がりくねった細い道を行くと、焼きものを敷き詰めた坂道とれんが造りの四角い煙突が、訪れる者をあたたかく迎え入れてくれます。江戸時代以来の風情ある町並みがそのまま残された“やきもの散歩道”は、焼きもののまちを一巡できる散策路です。 道沿いには現役の工場や窯があり、中をのぞくと職人の手によって作られたばかりの焼きものが並べられています。 道中、最も目を引くのは10本の煙突を持つ全長22mの登り窯です。 日本に現存する最大級の登り窯で、国の重要有形民俗文化財にも指定されています。 散歩道にはまた、空き工場を利用したオープンカフェもあり、焼きもののカップで一息入れ、疲れた足を休ませることもできます。 |
| その名も古常滑 〜古き日の常滑焼〜 知多半島の中央部、伊勢湾に面した小さなまち、常滑(とこなめ)は、古くから焼きもののまちとして知られています。 瀬戸、信楽、越前、丹波、備前とともに日本六古窯のひとつとされ、なかでも最も古い歴史と大きな規模を誇ります。
常滑焼の歴史は平安時代末期にまで遡り、当時は茶碗や皿のほか、宗教用の壺も作られており、全国各地の宗教遺跡から出土しています。
鎌倉時代後期から室町時代にかけては、大型で丈夫な日用雑器としての壺や甕(かめ)が多く作られました。
このころまでの常滑焼は特に「古常滑」と呼ばれており、壺や甕の肩から胴の部分にかけてモスグリーンの自然釉(ゆう)がかかっています。 |
| 急須の代表 〜朱泥焼〜 江戸時代後期になると、ようやく常滑でも茶器や花器などの工芸品が作られるようになりました。 「名工」と呼ばれる職人が登場し、凝ったデザインの器を作っています。このころに生まれ、今でも常滑を代表する焼きものが「朱泥焼(しゅでいやき)」です。 朱泥焼は、鉄分を多く含む土から作る赤茶色の焼きもので、特に急須は全国的に有名です。 当時、日本では煎茶が流行し茶器の需要が高まったため、その頃の代表的な茶器は中国で生産された朱泥焼、これを常滑で生産することに成功しました。 日本人の模倣の巧みさはこんなところにも表れ、以降、朱泥急須を専門に生産する陶工が増え、さらに1878年に中国人技師から中国の急須の製法が伝えられると、常滑の朱泥急須は一層の発展を見せることになります。 |
| 世界の常滑へ 〜現代の常滑焼〜 明治に入ると、常滑焼はさらなる発展を見せる。燃料は薪から石炭、重油、ガス、電気へと変わり、焼きものは釉薬をかけたものが増えました。 土管、焼酎の瓶、れんが、タイルなどが作られ始め、タイルは帝国ホテルの外装材にも使われています。 1970年、大阪の万国博覧会に常滑の若手作家が陶製のベンチを出品し、さらに1972年のフランス「ビエンナーレ国際陶芸展」では、常滑の陶芸作家集団が名誉最高大賞を獲得しました。 これを機に、常滑の現代工芸は一気に広く知られるようになり、常滑から現代工芸作家が多く輩出されるようになりました。 現在ではオブジェなどの美術作品を作る作家も現れて、陶芸の可能性を広げています。 |